はぴねす2006年8月



人生を駄目にする三つの誘惑
牧師 藤波勝正
 多くの人は、ものごころがついたときには、正義感に燃え、正しい生き方をして多くの人の役に立つ人生を送りたいという願いを持っていたことでしょう。けれども、さまざまな学びや訓練を経て具体的な歩みを始めるころには、いつの間にか、現実的な利害損得に心が奪われて、自分勝手な道を歩むようになるのではないでしょうか。
 たとえ心の中に自分勝手な思いがあったとしても、人のために生きると表明し、そのような目的を掲げ、その目標を達成するために労苦して悩む人生を送る人々も多くいることは感謝です。そのような人々は、ある程度目標を達成したときには多くの人々から賞賛され、その言動が人々の模範、励まし、目標となっています。
 しかし、悲しいことに、そのような人のために生きる人生を送っている人々がその頂点に達しているように見え、前途に大きな展望が開かれているように思えたときに、多くのものを失い、挫折を経験していく姿もよく見聞きします。彼らを見ていると悲しく、つらい思いになりますが、同時に、彼らが得たものを失う原因となった性質が私たちの心の中にもあることに気づきます。
 その性質とは、人間が持っている弱さであり、罪の性質です。昭和の初めに日本の教会に大きな影響を与えた一人の牧師は、説教の中で、「目の前にいる若い牧師たち、あなたがたの生涯を駄目にする三つの誘惑がある」と語りました。それは、財産欲、性欲、地位欲の三つであり、彼はこの三つにいつも注意するようにと言ったのです。
 これは牧師だけのことではありません。失脚していく人たちは、このうちのどれか、あるいはすべての誘惑に心を奪われ、人生の価値判断が狂わされた結果、誤った人生の選択をし、そこから転落が始まっていくのです。
 財産は必要ですが、その財産をどのように得てどのように用いるかによって、人が生かすか駄目にするかが決まります。多くの財産を得て、神と人のために用い、人々の祝福の源となった人々もいますが、得た財産を自分の喜びのためにのみ用い、祝福を失う人々もいます。
 性も大切なもので、神は夫婦が一つとなるための特別な恵みとして与えておられますが、それを自分の欲望のために用い、人を犠牲にしている人々がいます。そのためにどれほど多くの人々が癒えない心の傷を受けて苦しんでいるかわかりません。正しく性を用いたときにこそ、祝福された夫婦が生まれ、多くの人々の模範となることができるのです。
 地位も同じです。祝福された人生を送ると、自然と地位が上がり、名誉を得るのですが、地位とか名誉が目的になってしまうと、それを得るために目に見えないところでどれほどの不正が働くかわかりません。そして、地位や名誉を得た人々が影で働いた不正を暴かれて失脚していくのです。地位や名誉は長い間の犠牲の結果与えられる賜物であって、目標ではないはずです。
 私たちの救い主であるイエスもこの三つの誘惑を経験なさいましたが、神のことばによって勝利を収めました。ですから、イエスは私たちを理解することができる方となられたのです。「私たちの大祭司(キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(ヘブル4:15、16)と聖書にあります。私たちはこのような誘惑に自分の力では勝つことができませんが、私たちの弱さを理解し、助け、支えてくださる方の力によってのみ、勝利を収めることができるのです。


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