はぴねす2006年9月



理解する心の大切さ
牧師 藤波勝正
 8月末の約1週間、イタリアのローマを中心に2、3の都市を夫婦で旅行しました。ローマには約2000年前の教会に関する遺跡があり、初代のキリスト者たちの苦難の歴史を思い起こしたかったからです。コロッセオ(円形競技場)は、猛獣と剣闘士が戦ったところとして有名ですが、初代のキリスト者たちもそこで猛獣の餌食になったのです。彼らの殉教を記念するため、18世紀にコロッセオの一つの入り口に十字架が立てられました。また、多くのキリスト者たちが苦難の中で礼拝をささげたという、迷路のような巨大なカタコンベ(地下墓所)にも行き、彼らの信仰姿勢に触れてきました。
 ローマの公共交通機関には、日本人の私には理解しにくい習慣が多々ありました。バスや地下鉄に乗る上で最も難しいのは、乗車券を買うことでした。バスの乗車券はバスの発着所やバスの中では売っておらず、バス停近くの文房具店やたばこ屋のようなところにあるのです。1時間半利用できる券が1ユーロ、日本円で約160円、1日有効の券は4ユーロ(約700円)でした。他の都市はよくわかりませんが、バスには時刻表がなく、バスが来るのをひたすら待つのです。バスに乗り、自分が持っている乗車券を使い始めたというしるしを機械ですると、後は乗り降り自由です。不正をしようと思えばいくらでもできる制度です。列車も改札はなく、車内の検札だけですので、検札が来る前に降りた人はただ乗りができてしまいます。また、定時運行といってもプラスマイナス10分程度は許されているようです。町の中にはスリをするためにいるような人々が多くいて、よくわかっている人が「あの人が危ない」と教えてくれるほど服装や行動に特徴があるとのことです。
 私が今まで訪問した国はそれほど多くはありませんが、その国その国で私たちの日常生活と違うところが多くあることに気がつきます。そのようなとき、違った習慣や状況をどのように捉えるのかが大切です。日本と比較して理解できないと言い、なかなか馴染めない方がたもいますが、その国の習慣をそのまま受け入れ、理解するように努め、その国の人々とともに歩むことが大切であるといつも感じています。
 今回はローマのほかはあまり行きませんでしたが、訪ねた場所の一つにアッシジがあります。このアッシジは、フランシスという有名な神父が祈りの中で生活をし、多くのことを人々に教えたところです。彼の祈りの一つが「平和の祈り」として有名です。この祈りのことばの壁掛けをいつも私の書斎にかけてあり、ぜひこのアッシジに行きたいと思っていました。「平和の祈り」の一節をご紹介しましょう。「慰められるよりは慰められることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。わたしたちは、与えられるから受け、許すから許され、自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。」
 私もこのような祈りを日々ささげなければならないと思っています。このフランシスの祈りが日々の歩みの中に生かさるならどんなに幸せでしょうか。聖書には、「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」(Tヨハネ3:16)とあります。自分のあり方を基準にしないで相手を理解することがどんなに大切かを感じています。


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