はぴねす2007年6月



父の日に父を考える
牧師 藤波勝正
 父の日というのは、デパートやネクタイ屋さんの連合会、またはそのほかの商売人たちが、母の日に対抗する販売戦略として定め、習慣化しようとしてきたのではないかと考えていました。ところが調べてみると、当時始められたばかりの母の日の説教を教会で聞いていた一人の女性が、男手一つで自分たち兄弟を育ててくれた父に感謝することを思いついたところから始まったのです。最初の父の日は、1910年6月19日にアメリカのワシントン州のある教会で最初に祝われました。やがて1966年にジョンソン大統領が6月第3日曜日を父の日と宣言し、1972年にはニクソン大統領が父の日を公式なものにする法案に署名しました。
 最近の家庭では父親の存在が小さくなり、母親が父親代わりをしていることが多いように思います。父親が忙しいのが原因だと言われますが、それだけではなく、父親の存在感を家庭に作るよう両親が努力することが大切だと思います。私は満3歳で父を亡くしましたので父の顔を知りませんが、父親なしに育っても父親の存在は大きなものでした。母がいつも父のことを子供たちに語り、亡き父の権威をもって子供をしつけ、父親の存在を示していたからです。
 父親の存在を家庭で明らかにするものはただ一つ、父親に対する母親の態度です。妻が夫を敬い、尊敬し、共に歩んでいるなら、子供は父親の権威を認めることでしょう。
 母の日のカードはよく使われますが、父の日のカードはそうでもないとを本で読みました。多くの人々の心に大きく残っているのは母の愛で、母に支えられてきたことを思って感謝するのです。この本に、ある大会社の社長が人を雇うとき、父親との関係に着目するという話が載っていました。「父親に愛されていて、父親の権威に従う息子なら、仕事も立派にこなしますよ……父親に反抗している人は……必ず、私にも反抗するでしょう。」(ドブソン著『家族のために――知ってほしいこと…vol. 3』〔ファミリー・フォーカス・ジャパン発行〕p. 53)
 聖書は、父親の教えを大切にすること、両親に従うことを教えています。「父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか」(ヘブル12:7)ということばで、父親の権威の下で子供を育てることが大切であると語っています。子供は母親から無償の愛を学び、父親からは、権威に従い、自分を制することを学ぶのです。この二つのことを学ぶ中で、心豊かな人間、社会にあって人々をリードする人間となっていきます。母親が父親の代わりをすることができないように、父親も母親の代わりをすることができません。互いに互いを意識し合い、私の母が亡き父親についていつも語ってその存在を示したように、母親は父親の存在を子供に示し、父親は母親の存在を示したいものです。皆さんの家庭で父親がどんな存在なのか考えてみてください。


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