はぴねす2007年11月



助け合って生きる
牧師 藤波勝正
 なるべく人に迷惑をかけない生き方がよい生き方だとされ、自立した人間にならなければならないと言われます。国語辞典を見ると、自立とは「他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること」とあります。社会では、自立して生きていくことが生活の基本のように思われており、真に自立して初めて他の人のために働くことができると言われています。だれもが完全に辞典のように考えているわけではないでしょうが、学校教育や家庭教育の基本の一つとして、自立するために何をしたらよいのか、どのような訓練を受けたらいいのか、どのような教育を受けたらよいのかといつも考えられています。
 戦前の日本では、幼いときから他人に迷惑をかけないようにしつけられ、育つに従ってその基準がきびしくなり、いつも周囲の人を見る習慣が生まれ、自分らしく生きることのできない人間が育ったと言われます。逆に最近では、人に迷惑をかけないことが二の次になって、自分らしく生きることが大切であると教えられ、自分を見つけ出して自己実現することが生きる目的になってきたようです。人の迷惑を考えない自分勝手な生き方が自分らしい生き方であり、よいことだと思われているのではないかと感じられるときがあります。
 自分のことを考えて見ますと、国語辞典が言うようにだれの支配も受けず、だれからの援助や協力を受けないで生きることは不可能です。私たちの一生を考えると、生まれて間もなくは多くの人々に迷惑をかけ、多くの人々の犠牲の上に育ちました。親は子供を育てる中で犠牲を払うことの喜びを知り、家族の中に愛が生まれ育ち、互いに励まし合う人格が形成されていくのです。
 成人に達しても、すべての人には弱さや足りない点がありますから、一人で生きていくことができず、だれかの助けと協力と指導の中で豊かな生活をしているのです。
 私も年をとってきましたが、自分のできることがだんだん少なくなりました。けれど、多くの人々の愛の助けと配慮の中で生きていることをいつも感謝しています。寝たきりだったある老婦人が、自分にできるのは感謝することだと言って、すべての人に感謝し、喜んで助けてもらうことによって、多くの人々を励ましていたのを忘れることはできません。
 私たちがほかの人々の助けを必要とする以上にほかの人々の助けを必要としている人々もいます。助けを必要としている人と一緒に苦しむとき、人のために生きる喜びを味わうことができますし、心に優しさと広さが与えられます。
 聖書に「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」(Tペテロ4:10)とありますが、助ける態度とは、神から与えられた賜物を用いて、へりくだって仕える姿であると教えています。神はどんな人にも賜物を与えておられます。ですから、喜びをもって助け、感謝をもって助けられることが大切です。


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