はぴねす2008年10月



あかし
ウェスレアン・ホーリネス教団ひばりが丘北教会牧師 小寺 徹師
秋の特別集会(10/25、26)講師

小学校6年生の夏に友人たちの家族と共に軽井沢へ行きました。浅間牧場で浅間山を見ている時に突然大爆発。地面がうなり、噴煙が上がり、そして広がり、瞬く間に太陽の光は失われ、黒い雨が降り注ぎました。一連の驚くべき天変地異を経験して、天地を造られる神がいると確信し、その秋の運動会には、自ら進んで教会学校に参加。教会学校から小学校に向かう途中、音楽が聞こえてくる時に、不思議な導きを頂きました。「これからの自分の一生は今来た教会にある。この教会と共に生きることが、私の人生となる。これから行こうとする所には本当の喜びがない」という覚悟が与えられ、私の人生は決定したのです。その時以来、中学から大学に至るまで、日曜日の行事は全て教会の礼拝に参加してから行くようにしました。高校時代は野球部でしたので、無理な時がありましたが。

中学生の2年生から読書に目覚め、学校の勉強よりも自分で本を読んで学ぶようになり、聖書を夢中で読みました。何度も読み続け、ついにロマ書の14:8の御言葉が与えられました。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」

高校3年生の冬に献身のお言葉をいただきましたが、大学受験に失敗し、浪人時の8月、関東夏期聖会に参加して、「聖めの恵み」を得、感謝と喜びに満たされました。

早天祈祷会、祈祷会等に浪人中にもかかわらず出席し、神学校に入学を希望しましたが、周囲の勧めもあり大学に進学。文化人類学を学びました。

余りにも本を読みすぎ、夜と昼との逆転の生活を中学時代から継続したために、ついに20歳で腎臓病が発覚して、長い肉体的な試練の時代を過ごしました。

今までの人生で、腎臓、肝臓を悪くし、多忙のために皮膚病、内臓疾患、うつ等様々な病を経験しました。しかしそのような中でいやされつつ、いやしの賜物も与えられました。病んでいる人々の気持ちが理解できるようにされました。オートバイ事故にあいましたが、九死に一生を得ることになり、神が私に与えておられる目的があると確信しています。

団塊の世代の一人で、中学の新設に関わり、大学の学部新設に関わり、共に上級生のいない学校生活でした。また日本キリスト教団からの離脱により、神学院の建設に関わり、また教団の設立に関わり、開拓など新しいことに向かって、神が共におられるならば何とかしてくださるという積極思考を与えられています。万事が益になると信じて、様々な試練や困難を乗り越えさせて頂きました。

携帯メール

2006年3月末の教団総会で病のために倒れ、4月から外部の働きがなくなりましたので、毎日、1日1章1節の御言葉と解説を携帯メールで送り続けることになり、現在は80名ほどの人々に午前7時から8時の間に送信しています。このことは私にとってもとてもすばらしい恵みとなっています。

愛するみことば(新共同訳)

マタイによる福音書28:20「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

ローマの信徒への手紙14:8「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」



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