はぴねす2008年11月



人生はあなたに絶望しない
牧師 藤波勝正

私の楽しみの一つは、NHKの早朝のラジオ番組「こころの時代」を聞くことです。先日は、アウシュヴィッツ強制収容所で苦しみを経験した精神科医ヴィクトール・フランクル博士に傾倒しているある医師の話を聞くことができました。

ユダヤ人であるフランクル博士は、第2次世界大戦のとき、ヒトラーによるユダヤ人大虐殺が行なわれた強制収容所の一つ、アウシュヴィッツ収容所での苦しい日々を経験しました。その筆舌に尽くしがたい悲惨な経験を中心に記したのが、邦訳名『夜と霧』で、原題は『心理学者収容所を体験する』だそうです。

彼が味わった苦しみは、ただユダヤ人というだけで受けていた重労働、乏しい食糧、劣悪な環境という苦しみだけではなく、ナチス親衛隊員や収容所監視兵、また被収容者間のひどい人間関係の苦しみです。そして、多くの人が次から次へとガス室送りになる(処刑)という恐れの中、いつ自分にそれが及ぶのかという恐怖で怯える日々を過ごしていたのです。この苦しみはいつまで続くかわからず、希望を持てと言っても不可能な状況でした。しかし、その悲惨な収容所生活を生き延びた人々もいました。彼らが何を心の支えに生き続けることができたのかを精神科医として分析したのが『夜と霧』だそうです。

フランクル博士によれば、生き残った人々はそんな絶望的な状況でも生きる意味を見いだし、自分の人生を絶望しなかった人々です。そして博士は、「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない」ということばをよく言っていたそうです。

「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない」ということばを聞いたとき、私が自分に言い聞かせるとするなら、「あなたが人生に絶望しても、神はあなたを愛し、支え、意味ある人生を送らせてくださる」ということばになると思いました。私はこのことを確信しています。それは、苦しんでいる人々に対して聖書は励ましと希望のことばを与えているからです。

理解できないような苦しみに遭うことがありますが、そのようなとき、背後におられる愛の神は決して私を見捨てるようなことをなさらないという信仰が必要です。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです」(Uコリント4:8〜10)という聖書のみことばは、多くの人々を励ましています。どのような苦しい状況にあっても希望を主に置くことを教えられます。そして、その苦しみには意味があることをいつも思っています。



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