はぴねす2008年12月



クリスマスはキリストを礼拝する日
牧師 藤波勝正

「教会でもクリスマスをするの?」と聞かれたという話があります。そのくらい、クリスマスの主人公はいつの間にかサンタクロースになり、真の意味が忘れられがちです。しかし、多くの皆さんがこの日を心に留め、賛美歌を歌い、「メリークリスマス」と言ってクリスマスを祝ってくださることに感謝しています。

クリスマスは、神のひとり子イエスが預言のとおりに人間の姿をとってこの世に生まれてくださったことを感謝する日です。神がひとり子をこの世に送るに当たっては、神はその子の親を選ぶことができました。しかし、神が声をかけられたのはマリヤでした。神が母親として選んだマリヤのいいなずけの夫ヨセフの社会的地位低く、貧しい大工で、特別な名誉など持っていませんでした。

多くの人が羨望の目で見る家庭とは、親の社会的地位が高いとか、多くの財産を所有するとか、名誉があるといった家庭でしょう。この三つのうちの二つ以上があれば、さらにうらましく思われます。多くの子供たちは、自分の現実の家庭とそのような家庭を比べ、「あんな家で生まれたかった」と思うことでしょう。しかし、子供が親を選ぶことができないように、親も子供を選ぶことはできません。

さて、神が救い主の家族としてお選びになった家庭は、ユダヤの国で人々から尊敬されている祭司の家でもなければ、ユダヤ教の教えを研究して人々に指導する学者の家でもありませんでした。救い主の家族の唯一の特徴は、かつてイスラエルを治め、ユダヤ人たちから大変尊敬され、その子孫から救い主が誕生することを神に約束されていたダビデ王の家系だったということです。

マリヤがあなたに神の子が生まれるということばを聞いたのは、いいなづけ夫ヨセフとの結婚生活を始める前のことでした。マリヤは少し躊躇しましたが、夫ヨセフが自分を理解してくれるものと信じて、神の声を受け入れました。神は夫ヨセフにも事の次第を教え、彼は妻マリヤを理解し、受け入れ、彼女から生まれる子を愛をもって育てることを決意しました。このように、神への愛と信頼、互いの愛と信頼のあるすばらしい家庭でした。

神はこの家庭にひとり子であるイエスを生まれさせ、イエスは何人かの弟たちと一緒に育てられました。一説によりますと、養父のヨセフは早くに死んだので、イエスは生活の苦労、生きる悩みなどを経験しました。長じては、多くの人に裏切られて心の痛みを経験し、さまざまな誘惑を受けて人間の弱さを経験し、食べる物や飲む物がない苦しみもまた経験しました。イエスは私たちの喜びと悲しみ、弱さを体験し、私たちを同情することのできる方となられました。聖書は、「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」(ヘブル4:15)と言っています。このイエスは、私たちの不幸の原因である罪を取り除くために、私たちの身代わりに十字架につき、救いの道を開いてくださいました。このイエスをほめたたえ、礼拝するのがクリスマスです。



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