はぴねす2009年3月



希望を持って耐える
牧師 藤波勝正

この「はぴねす」を読んでくださっている方や、そのご家族の中には、3月から4月にかけて、進級、入学、就職、転職、転勤、職場での立場の変化などにより、新しい人生に入っていく方がおられると思います。結婚、出産という新しい歩みを始める方もいるかもしれません。希望を持って新しい立場に変ろうとしている方や、不安と希望の入り混じった方、いや不安だらけの方もいるかもしれません。

いずれにしても、新しい立場に変ったときは戸惑いを覚え、将来に対して不安な心を持ち始めることが多くあります。特に子育ての場合には、結果をなかなか見ることができず、かえって自分の期待とは反対に行っているかのように思い、大きな不安感に襲われる場合があるかもしれません。また、思いどおりに行かない現実を受け入れることができないで、すべての問題の原因を外に求め、不平、不安、不信の心に支配されて将来が見えなくなることが時にはあるかもしれません。

私たちの生活の中で、希望のものを手に入れるために、ある時には我慢し、忍耐し、そして希望を持って絶えず努力しなければならないのはこの世の常です。

この耐える心を専門家は「耐性」と呼んでいます。幼い時にかんしゃくを起こしても我慢することを教えられないで、すべて自分の思いどおりになった子供は、この耐性が少ないと言われます。その年代に応じたやり方で忍耐を教えること、忍耐が決してむだにならないことを経験し続けることが大切だと思います。

自分の思いどおりに行かないことがその人を成長させます。今までの自分にないものを見いだし、そこから新しい道が開かれていくという体験を多くの人々がしています。不平を持つ心の弱さには同情しなければならないのですが、耐性の大切さを認めて励まし合うところから新しい歩みが始まります。

聖書には、「患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:3〜5)と記されています。

患難の中にあって、このことが必ず最善になると信じ、神が最善の時に最善のことをしてくださると信じるなら、その試練の中でも希望を持ち続けることができるのです。神はその人にふさわしい道を備えておられるのですから、すべてを支配する神に祈りを持って近づく時に神の愛を経験することができるのです。「耐性」の基礎とは、弱い者を助け、私たちの弱さに同情して共に歩んでくださるキリストへの信頼です。

私自身も多くの患難を通ってきましたが、その患難のゆえに成長し、そして、キリストに対する変わらない希望を持つ者とされてきたことをいつも思い起こします。



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