はぴねす2009年6月



ローマの休日
牧師 藤波勝正

6月10日の産経新聞の「断層」というコラムに、「ローマの休日」ということばの意味が記されていました。“Roman Holiday”というのは熟語なのだそうです。かつてローマ帝国の人々では、休日に奴隷戦士とライオンの戦いを観戦していました。見る者にはスリリングな戦いですが、奴隷戦士にしたらたいへん苦しくて迷惑な日です。ですから、「ローマの休日」というのは、「他人の迷惑を楽しむ」とか「面白いスキャンダル」という意味になったそうです。このコラムを書いた呉智英氏は、『ローマの休日』というタイトルは、「『はた迷惑な王女様』か『王族のスキャンダル』としなければならない」と言っています。

ことばが本来持っている意味を忘れて、現代に合わせて解釈することはよくあります。たとえばホリデー(holiday)がそうです。今は休日としか考えられていませんが、古くは“holy day”で聖なる日という意味がありました。

聖なる日とは、仕事を休んで神を礼拝し、神に仕える日です。この原点は旧約聖書にあります。旧約聖書では、1週間の終わりの日である土曜日を聖なる日と定め、すべての人々は仕事を休んで神を礼拝し、その終日を神に仕える日としていました。今でもユダヤ教の人々は土曜日を聖日として神を礼拝しています。

キリスト教では、私たちの救い主であるイエスが金曜日に十字架にかかって死に、日曜日に朝によみがえられたことを記念して、日曜日を聖なる日とし、仕事を休んで神を礼拝し、終日神に仕えます。

現代では“holiday”を聖日という意味で用いることは少なくなり、休日の意味で多く使われるようになってきました。しかし、聖なる日であるから仕事を休んで神を礼拝することが原点であると思い起こすことも大切だと思います。

多くの方々は休日とは仕事がなくて遊ぶ日だと考えています。休日に遊びすぎて疲れ果て、仕事に支障を来たしたと聞くこともあります。逆に、体を休める日として一日ゆっくり過ごす方もいるでしょう。

しかし、休んだり遊んだりするだけでは本当の休日にはなりません。真の休息のためには心が養われる必要があり、そのためには心の中に愛という食物を受ける必要があるのですが、そのことは忘れられがちです。

聖書に、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)とありますが、人間はパンに代表される物質的な食物だけで生きているのではなく、霊的な食物、つまり神の愛、互いの愛という食物を得なければ生きていくことができません。ホリデーつまり聖日に、日々の生活とはまったく違う歩みをし、神を礼拝して神からの愛をいただき、互いの交わりの中で愛を受け合っていくとき、新しく生きる力が与えられます。日曜日を聖なる日と考え、神を礼拝し、互いの愛を確かめ合う一日とすることができたらどんなにか幸いでしょう。



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