はぴねす2009年7月



横浜開港150周年
牧師 藤波勝正

今、横浜開港150年の記念の集まりが開催されています。よく言われることですが、横浜港の開港は、アメリカ、イギリス、カナダなどの国々との交わりがスタートして日本の近代化が始まったという大切なできごとです。

この横浜開港と同時にプロテスタントの宣教師たちがイエス・キリストの恵みを伝えるため日本にやってきたのです。彼らは日本人を愛し、迫害も恐れずにやってきました。キリシタン禁令の高札の撤去が1873年でしたから、宣教師たちが来日したときはまだキリスト教は禁教で、迫害の対象でした。

日本に最初にキリストを宣べ伝えたのは、今から460年前、カトリックのフランシスコ・ザビエルでした。最初は多くの人々に受け入れられましたが、やがてキリスト教は禁止され、主のために命を捨てていったキリスト者たちも大勢いました。

その後もキリスト教に対する迫害が続いていましたが、宣教師たちはそのような状況でも日本にやってきました。横浜開港と同時に宣教師として来日した人々のうち一人の名は多くの人々が知っています。ヘボンという宣教師で、成仏寺に居を構え、聖書の日本語訳と医療に力を注ぎました。このときに彼が考えたのがヘボン式のローマ字で、今も用いられています。また、彼が設立した学校は、明治学院となってその働きが続けられています。

その後も多くの宣教師たちが日本に来ましたが、キリシタン禁令の中でしたので、教育、医療などに力を注ぎつつ福音を語り続けました。彼らの働きによって多くの人々がキリストの教えの影響を受け、明治時代の一つの基礎ができたのです。

この小田原にも100年以上続いている教会がいくつかあります。横浜で宣教が始まった後、早くから小田原にも宣教師たちが来て福音を伝え、教会を設立し、それらが今も残っているのです。

この飯田岡でも昭和の初めに小田原市内の教会から婦人宣教師が自転車で通ってきて日曜学校をしていました。私たちが小田原にやってきた42年前、昔日曜学校に通ってカードをもらって楽しかった思い出があるという話をあるお年寄りから聞きました。私たちの知らないところで多くの人々が労されていたことを思うと、イエスに感謝するとともに、先達者たちにも感謝をささげています。

聖書に私たちが今行なっていることがどのような結果をもたらすのかわからないこともありますが、のちの人々のために愛の種をまき続けていきたいと思っています。聖書に「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう」(伝道者の書11:1)ということばあります。今は無駄だと思えることでも、真実のパン、愛のパン、真理のパンを投げ続けていくなら、後の人々の心に大きな実を結ぶことになるという希望を持って、日々歩んでいきたいと思います。すぐに結果を見ることができなくても、真実な歩みをすることが大切であるといつも思っています。



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