はぴねす2009年9月



福音は毒をも制する
牧師 藤波勝正

8月のマスコミは、芸能人と麻薬の問題で持ちきりでした。この問題に論評を加える知識はありませんが、二十数年前に香港に行った時のことを思い出しました。

現地の牧師の案内で最初に訪ねたのは、キリスト教の麻薬更生施設でした。その施設には「福音は毒をも制する」を書いてありました。ホテルを出発する時、パトロール中の警察官に質問される可能性があるので必ずパスポートを携帯するようにと言われました。その時の緊張を今も覚えています。

その更生施設は、無人となった田舎の村を一つ買い取って施設を作り、共同生活を通して更生の道を歩むための支援をしていました。指導者たちの多くもかつては麻薬常習者であり、麻薬に苦しんでいる人々にとっては最高の理解者であり、目標でした。その施設に掲げられていたみことばは、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Uコリント5:17)でした。食事をともにしながら話す中で、麻薬にも打ち勝つキリストの救いのすばらしさを見ました。

続いて、その施設の事務所を訪問しましたが、その事務所は暗黒街と言われるところの真ん中にあり、8階建てぐらいでしたが、エレベーターもなく汚れた建物でした。たいへん危険な場所であり、現地の責任者の特別な同伴が必要でした。そこにも麻薬に苦しんでいる人々が多く集まっていました。主の愛によって彼らが更生する手助けをしているキリスト者のカウンセラーがおり、必要に応じて医師、弁護士などの専門家の助けを得るのだと語っていました。

彼らからは、麻薬の恐ろしさを知りながらなぜ麻薬を使うようになったのか、どんな苦しみがあるのか、どのようにして麻薬に勝ったのかを聞きました。彼らが麻薬を使うようになったきっかけを私なりにまとめますと、三つの言い訳があるように思います。だれかに誘われたときに、だれもがやっているから、1回かぎりだから、ほんの少しだからといって麻薬に手を出し、そして、麻薬から離れられない人間になっていったのです。

麻薬に限らず、私たちの周りにあるさまざまな誘惑に対しても、このような三つの言い訳で自分の弱さに負け、罪の道に染まっていき、抜き差しならぬところまで行ってしまう場合があります。多くの人々は、だれにも束縛されないで自由に生きたいと思っていますが、自由に生きるつもりで悪の道を選択したために、自由をまったく失ってしまい、勝つことができなくなってしまう人がいかに多いことでしょう。人間の自由を奪い、苦しめるのは麻薬だけではなく、さまざまな悪い習慣、度を越した遊び、心にある罪の思い、憎しみ、あざけり、いじわる、憤り、酩酊などもそうです。

自由には、何かを行なう自由もあれば、行なわない自由もあります。罪からの自由であり、正しく生きる自由なのです。罪を犯さない自由こそが必要です。先ほどの麻薬更生施設の人々が信じたキリストこそ、真の自由を与える方です。主キリストは、私たちを新しい人間に作り変える救い主なのです。



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