はぴねす2010年1月



心を表わす服装
牧師 藤波勝正

1月には、めったに着ない和服を正月や成人式のために着て誇らしげに歩いている人々の姿を見ます。成長した自分を表わし、喜びを表現するために晴れ着を着るのではないでしょうか。また、結婚式では、喜びと決意を表わすために服装を選ぶように思います。悲しみを表わす時にはそれにふさわしい服装を選び、大事な方を訪問する時にはその方に合わせた服装にします。リクルートスーツという名前までついて就職活動のための服装が宣伝されています。

知人に、豊かな生活をしていると思われているものの実は貧しい方がいます。親戚の婚約式があり、礼装ではなく普段のスーツで出席するように言われたのですが、仕事上スーツを着ないので、普段着と黒のスーツしか持っておらず、仕方なく黒のスーツで婚約式に出席したところ、恥をかかせたかのように言われて困惑したということを聞いたことがあります。

日常生活でも、私たちは季節、場所、目的に会う服装を考えます。仕事には仕事の服装があり、遊びには遊びの服装があり、スポーツにはスポーツの服装があります。ある服装により一体感を確認する場合もあります。また、警察官、消防士、看護師、宅配の仕事をしている人など、服装がその人の仕事や立場を表わし、周囲の人に安心感を与えます。

異文化の人と親しくなる一番の近道は、同じ服装を着て同じ食物を同じ習慣で食べ、親しくなりたいというメッセージを表わすことです。以前、台湾先住民の教会の礼拝で説教したとき、いただいた民族衣装を着たところたいへん喜ばれたことを思い出します。また、その方たちのことばを一言でも話したらどんなに喜ばれるでしょう。服装は、心、立場、目的を表わすメッセージの一つだと思います。

イエスは神の子でありながら、私たちに愛のメッセージを伝えるため、その時代の人たちと同じ食物を食べ、同じことばを語り、同じ服装を着る人間となってこの世に来られました。聖書は、イエスのご性質と神が人間となられた目的を紹介することばの一つとして、「(キリストは)すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(ヘブル4:15、16)と言っています。イエスは神でありながら人間の間に住み、私たちと同じ苦しみを味わい、私たちを本当に同情することができる方となられたのです。私たちが苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、主イエスのもとに行くならば、主イエスに理解していただくことができ、心に真の平安をいただくことができます。



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