はぴねす2010年7月



国技を破壊する罪
牧師 藤波勝正

最近のマスコミは、国技と言われる相撲の世界で起きた野球賭博のことで持ちきりです。力士たちがどのような気持ちで賭博の世界とかかわるようになり、どんな事情で長く続けたか、野球賭博と裏社会の関係をどう理解していたかはわかりませんが、彼らの行動によって相撲社会が存続の危機に立っていることは確かです。

多くの力士たちは、正義感を持ち、正しい生き方をして、将来は親方になり、相撲道の発展のために尽くしたいと思っていたに違いありません。賭博にかかわっていた力士たちは、稽古を積み重ねて番付が上がることに専心した結果、ある程度希望が達成され始めたときに心の緩みが生じたのかもしれません。そして、相撲の世界で長く伝えられてきた因習、親しい友の誘い、仲間がやっているという安心感によって賭博に心が向かったのかもしれません。

私とはまったく違う世界のことであり、想像するだけで真実はわかりませんが、心の中に何かが起こり、誘惑され、道を誤ったことは事実です。常々思っていることですが、何か悪いことをするときには、「だれでもやっているから」「少しだけだから」「1回だけだから」という三つのことを考えるのではないでしょうか。けれども、そのようなことから悪い歩みの奴隷となり、自分で自分をどうすることもできない状態になってしまいます。

少しぐらい遊ぶ自由があってもよいという人もいますが、小さなことから始まって悪いことが習慣化されてしまいますと、そこから抜け出す自由を失い、いよいよ悪い方向に進み、その人だけではなく多くの人々に影響を及ぼし、今回のようにその世界の存続にまで影響してしまうのです。その人の失敗はその人だけにとどまらず、その人が影響を及ぼす範囲やそれ以上に広がり、その人が責任を取れる範囲を超えてしまう現実を目の当たりにします。責任を取れれば何をしてもよいとよく言われますが、今回のことを見ても、責任を取ることができないほどの範囲、重さ、深さまで影響が及んでしまうのです。

軽い気持ちで悪い道を選択した結果、そこから抜け出すことができなくなり、その悪い道に勝つことができなくなってしまう人がいかに多いことでしょう。犯した失敗のために多くの人々に迷惑をかける現実を見て、恐ろしくなることがあります。

人間の自由を奪い、苦しめ、多くの人々に影響を及ぼしてしまうのは賭博だけではありません。麻薬、さまざまな悪い習慣、程度を越した遊び、心にある罪の思い、ほかの人に対する憎しみ、あざけり、憤り、酩酊などもそうです。自由と言っても、何かを行なう自由もあれば、行なわない自由もあります。罪からの自由、正しく生きる自由、罪を犯さない自由こそが必要です。イエス・キリストこそ、この真の自由を与えてくださる方です。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Uコリント5:17)とあるように、イエス・キリストは私たちを新しい人間に作り変えてくださる救い主です。すべてのことを益に変えてくださる勝利の主です。



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