はぴねす2010年9月



水を汲みし僕は知れり
10/1婦人ランチョン講師 飯島紀子

NHKの朝8時のニュースで、「山崎製パン武蔵野工場、ただいま延焼中、戦後二番めの大火である」とのニュースが私の眼に飛び込んできました。

昭和48年7月26日の朝でした。幼稚園のお泊まり会で軽井沢から帰ってくる幹雄を上野駅に迎えに行き、その足で、子供たちと一緒に工場跡地に行きました。

主人に逢うこともできず、ロープが張られた火災の現場武蔵野工場の焼け跡に入ることもできずに帰宅いたしました。それはちょうど、飯島藤十郎社主と義母和、そして主人飯島が池の上キリスト教会で山根可弌牧師から受洗の恵みに与った日から11日目のことでした。

火災の翌日、両親と主人飯島は、池の上教会を訪れ、山根先生に祈っていただくと同時に、社主も祈られました。「この火災は山崎があまりにも事業本位に仕事をしてきたことに対する神の戒めです。これからの山崎は、神の御心にかなう会社に生まれ変わります。」

この祈りに心を合わせ山崎パン全従業員は、この武蔵野工場の焼け跡から、新しいヤマザキパンのスタートをきりました。火災の当日と翌日は休業になりましたが、火災の当日、全員の無事が確認され、武蔵野工場の従業員は、関東6工場に分散して夜勤で、武蔵野工場分の生産を行う体制をとり、3日めからは、通常どおりお客さまのところへ製品をお届けすることができたのです。そして、焼け跡の始末と図面の作成、機械の発注に1か月、新工場の建設に3か月、12月の初めには、旧に倍する新しい武蔵野工場として建設稼働となりました。クリスマスシーズンを無事に乗り越え、感謝な新年を迎えることができました。……

しかし、商法改正で監査役の権限が強まったこともあり、社内に問題を抱えていた山崎は、関西山崎の株式をめぐり、監査役が、飯島藤十郎社主を訴えるという前代未聞の裁判が始まってしまいました。会社の監査役と対立することになった社主の心中はいかばかりであったことでしょう。創業の初めから「事業の成り立つこと」をのみ願ってこられ、全身全霊をあげてこられた社主は、この事態に、何も言われなくなりました。しかも、一審は敗訴となり、すぐに上告いたしました。……

1983年10月17日、裁判の解決と、社主の健康回復、そして、主イエス・キリストにある家族の一致を願って、山根恵代先生と島津先生においでいただき、三鷹の家の応接間で第1回の祈祷会が開かれました。それは、母は三鷹で毎日祈っておられ、私は松戸で祈っているが、これでは充分ではない、と思いました。「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」(マタイ18:19、20)の御言葉を示されていたからです。

当時、山根恵代先生は、大変お体が弱っておられたようでしたが、おいでくださってお証をしてくださり、御言葉をとりつぎ祈ってくださいました。「島津さん、永遠の命を手渡さなければね」とおっしゃっていらしたそうです。神様はその祈りに答えてくださり、翌年、裁判は、飯島藤十郎社主と山崎製パンとの和解によって解決し、飯島記念食品科学振興財団を共同で設立し、食品のあらゆる分野の研究に対して助成援助活動を行っております。……

三鷹の家で始まった祈祷会は、一麦会となり、361回を数えるまでになりました。神様の導きとお護りに心から感謝します。救われる方たちも次々に起こされました。主の御業を拝することができ、ありがたく涙があふれてきます。

目白にあった池の上キリスト教会は、土地の問題もあり、新しい礼拝堂のために祈りが積まれていました。一麦会に集う方々が30名を超えるようになり、飯島和姉が庭先の空き地に、「集会場でも立てようか」と言われたのがきっかけとなり、新会堂の土地を探していた私たちは、三鷹への移転も視野に祈り続けました。

……山崎の諸問題を解決し今日まで護り導いてくださった神様に感謝として三鷹の社主宅の道路に面した300坪の土地に、新会堂を建設し、お捧げするので池の上キリスト教会に三鷹の地に移転してきていただきたいと提案いたしました。

池の上キリスト教会はそれを受け入れてくださり、どのような礼拝堂にするかという話し合いがなされ、祈りが続けられました。新会堂にはパイプオルガンを、設計者はどなたにお願いするのか等、たくさんの課題がありましたが、神様がすべて備えていてくださったと分からせていただくようになりました。ハレルヤ。

ヨハネ2章に、イエスさまが、ガリラヤのカナの婚礼の時に、ぶどう酒がなくなった記事があります。そこで、イエスさまが水をぶどう酒に変えるという奇跡をされたのです。

「イエスは彼らに言われた。『さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。』彼らは持って行った。宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、──しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた」

「水を汲みし僕は知れり」と書かれています。私も主の僕の一人として、主が次々にしてくださった恵みと奇跡の業を知り、証しすることができます幸いを心から感謝いたします。

日本ホーリネス教団池の上キリスト教会発行「いづみ」(2010年3月号 第292号)より



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