はぴねす2011年2月



貧しさの中の幸せ
牧師 藤波勝正

多くの人々が目指すのは、有名になること、より高い地位に就くこと、そして何よりも多くの財産を持つようになることのように思います。マスコミなどで「幸せな家庭に育った」「何不自由なく育った」と言われるのは、このような条件を備えた家庭ではないでしょうか。

反対に、そうではない家庭で育った人は不幸の中で育ったと本人が自己卑下し、親を恨み、環境を憎み、周囲の人々にも不幸な育ちだと言われる場合があります。幸せと言われる条件にあてはまるようになりたいと一生懸命働くのですが、それをハングリー精神と言っているように思います。 以前ある人に「家を造ることはよいが、家庭を壊すことがないように気をつけなさい」と言ったことを思い起こします。自分の家があることが幸せの第一条件だと思って、たくさんの借金をし、朝から晩まで働き、家庭内の人間関係を無視したために、家は完成したが家庭が壊れた話をよく聞くからです。

財産、高い地位、名誉、自分の希望を達成するために何かを犠牲にしなければならない場合、一番弱いものにしわ寄せがいくことが多いのです。目的のものを手に入れたとしても、最も大事なものを失う危険があることに心していかなければならないと思います。

不幸と言われる環境で育ったために、親を恨み、環境を悲しみ、自分が不幸の代表であるかのように思い、自己卑下していたという人がいます。彼の両親は、貧しさのために互いを恨み、不平と不満と偽りが家庭に満ちていたそうです。彼の心にあったのは、今の環境から逃れたいという思いだけでした。彼は自分が希望していたものを手に入れましたが、自分の過去を隠し通していたために心の平安を失い、精神的病になったと言います。

2月16日の産経新聞に掲載された曽野綾子さんの文章で、南米のボリビアで貧しい人たちのために働いている神父のことばが紹介されていました。「私たちは貧しさからみじめさを取り除くために働いてきました。しかし私たちは貧しさの価値も伝えていきたい…団結、友情、理解などです。」

私たちが生きがいのある人生を送るために必要なのは、この目には見えない「団結、友情、理解」です。聖書は、「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(Tコリント13:13)と言っています。最も大切なのは、互いの信頼関係、互いの一つの希望を持つこと、赦し合い支え合う愛なのです。

私の家族は、父が早く亡くなったために戦中戦後とたいへん貧しい生活をしてきました。しかし、母が「貧しくても乏しくない」と言って、貧しさの中で大切なものを子供たちに残してくれたことを今でも感謝しています。牧師となってからも貧しい生活をしましたが、その中で多くのものを得、それが残っていることを感謝しています。



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