はぴねす2011年6月



未曾有の災害の中で得るもの
牧師 藤波勝正

3月11日以来、「未曾有の災害」ということばをよく聞きます。広範囲にわたる地域を被害を受け、多くの人々が犠牲となり、生活の根底から覆され、復興には長い年月が必要されることを思うと、悲しく、つらく、なぜこんなことが起こるのかと思わずにはいられません。そのうえ、安全であると言われていた原子力発電所でも、津波をきっかけに事故が起こりました。

この未曽有の災害はたいへん広い地域でさまざまなところに影響を及ぼし、終息のときもわからない状況です。テレビでは、親しい人たちを失い、産業と生活の基盤を失い、仕事を失い、将来の希望を持てないでいる人々の苦しみを見聞きします。原子力発電所の事故のために被害のなかった家から離れて避難生活をしている人々の悲しみ、苦しみ、不安を思います。明日がわからない生活をしている方がたにどのようなことばをかけていいのかわからない思いです。同時に、多くの技術者たちが安全だと誇っていた構造物が無残に崩れ、彼らの誇りも奪われました。

なぜこのような未曽有の災害が起こるのか、なぜ自分がこの災害に遭い、財産を奪われなければならなかったのか、なぜ親しい者の生命が奪われなければならなかったのか、なぜ自分の心と体が痛むような目に合わなければならなかったのか、考えれば考えるほどわからなくなることでしょう。

私自身も、苦しみにあったときにはなぜだろうと疑問に思いますが、正しい解答はなかなか得られません。ただ、受けた苦しみを通して家族の愛や地域社会の連帯を感じ、全国からの応援を通して助けられることの幸いを感じている方がたを見るとうれしく思います。二度とあってほしくない災害ではありますが、この苦難を通して、目に見えない祝福を経験し、新たな希望を得た人もいるのではないでしょうか。

本当に愛し合っている家庭は、家を失っても家族の愛を失いません。生きる力は家族の愛から生まれます。私たちの目は目に見えるもののみに奪われているのではないでしょうか。目に見えるものはいつかなくなりますが、目に見えないものはいつまでも私たちを励まし続けます。本当に価値あるものです。

聖書に、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(Tコリント13:13)ということばがあります。永遠の愛、キリストの愛こそ、どんなに苦しい中からも私たちを立ち上がらせる力です。キリストは私たちに信仰を与え、希望を与え、勝利を与えてくださいます。



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