はぴねす2011年12月



私たちに希望を与えるために
牧師 藤波勝正

年末になって1年を振り返り、今年はいつもと違う年であったとだれもが思うのではないでしょうか。3月11日の東日本大震災では、未曽有の大津波、原子力発電所の事故を経験しました。災害の専門家や科学者たちは想定外の事故であったと言っていますが、どんなに科学が発達したように思えても、コンピューターの解析がどんなに進んでも、予想がつかないことが多くあるのです。ある地震学者が、「地震に関してわからないことがあまりにも多すぎる」とテレビで言っていたことを思い起こします。

昨年までは温かいところでクリスマスを迎えていたにもかかわらず、今年はそのような喜びを味わえない方がたもたくさんおられます。原発の事故で避難せざるを得なくなり、昨年とはまったく違う環境でクリスマスを迎える教会もあります。

すべてを作り、支配し、愛していてくださる神なる方が、このような人間の苦しみを理解するために人となって生まれてくださったことを感謝するのがクリスマスです。神が人となって生まれてくださったので、天からこの世に来てくださったことを表わすためにイエスの誕生は、多くの場合、降誕と言われます。

イエスの降誕のために用いられたのがダビデ王家の子孫ですが、母となったのは貧しい処女マリヤでした。降誕の時には、臨月を迎えたマリヤと夫ヨセフを受け入れる人がなく、マリヤは家畜小屋で出産し、生まれたイエスは飼い葉おけに寝かされました。そのとき、静かな中で暮らしていた身分の低い羊飼いたちに天使が現われ、「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2:11)というメッセージを人知れず伝えました。聖書に約束され、ユダヤ人が800年以上も待ち望んできた救い主が生まれたのです。

イエスは降誕後間もなく、王に殺されそうになったために外国に逃げなければならなくなりました。その後、イエスには弟や妹が生まれましたが、養父ヨセフは早くに亡くなったようですから、母マリヤとともに生活の苦しさも味わったことでしょう。そして、多くの人々に誤解され、苦しみ、あるときには裏切られ、最後には十字架という肉体の苦しみの極致、罪の身代わりとなってさばきを受けるという精神的な苦しみの極致を経験してくださいました。

天使が降誕を知らせた救い主イエスは、私たちと同じ立場に立って、私たちを理解し、どんなときにも助け、永遠の救いに入れてくださる方です。どのような試練の中にある者も救い、試練の中にも喜びを見いだすことができる者へと、試練を通して作り変え、永遠の希望に生きることができるようにしてくださいます。

クリスマスとは、私たちをこのような救いに入れてくださったイエスに、また、多くの人々を救いに入れてくださるイエスに感謝して、心からの礼拝をささげる日なのです。



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