|
|
|
人生が思うように行かないとき、その原因を自分の心の中に求めるのではなく、必ずと言ってよいほど、ほかのところに求めます。特に自分の生まれ育った環境のせいにしたくなります。もちろん環境が影響を与えていないとはいえませんが、もっと大事なことがあるのです。
ある心理学者は、多くの統計から、問題がある家庭から問題のある子が育ち、比較的問題の少ない家庭からいわゆるよい子が育つというような結果を得ることはできなかったと言っています。また、ある養護施設の園長が、「社会に貢献できる子供として育つためには、確かに問題の少ない家庭ほど比較的よい子が育つと言えるものの、それは絶対的なことではなく、たいへん問題の多い家庭でもすばらしい子供が育っていることがよくあることに気づく。唯一言えるのは、子供が自分の環境をどう理解しているかということである。自分で環境に納得しているなら、複雑な家庭で育った子供であっても、その環境を乗り越えて、社会に貢献することができる人間となっている」と言っていたことを思い出します。今ある環境を受け入れ、納得し、明日への備えをしている人がいる一方で、理想的と言われる環境に遭っても自分の環境を受け入れられず、不平を言い、明日への備えができない人もいます。今の環境を理解し、納得し、将来に対する備えをすることが大切であると感じます。
ある牧師は、きびしい家庭に育ちましたが、それだけに何のために生きるのかという人生の目標を探し、勉強の意義を求めて多くの大人に尋ねました。しかし、だれからも直接の解答は得られず、「そんなことを考える余裕があるのなら勉強しなさい」と言われただけだったそうです。ついには、自分の真剣な問いにだれも答えてくれないということから人間不信に陥り、挫折し、自暴自棄になっていきました。この牧師の場合、人生に疑問を持つような家庭環境があり、そのために自分の生まれに疑問を持ち、生きる価値をも疑うようになったのだと思います。彼の人生は転落し、学校にも行かず、生活の中心は新宿のドヤ街となり、シンナー中毒となり、けんか、万引き、放浪、家庭内暴力もしたようです。彼は、「殺人以外の犯罪はすべてやった」と言っています。
彼の親は困って、近所の教会に行くことを勧めました。その教会での交わりの中で、彼は神に愛されていることを知り、自分の罪を認めて告白し、新たな歩みをする決意をしました。そのときからまったく新しい人生を送ることになったのです。自分の人生のすべてを主にあって受け止め、理解し、すべてを益に変えてくださる神を信じ、神のために生きる者となりました。
人生には、私たちが理解できないできごとが多々ありますが、それをどのように受け止めるかによって人生が変わるのです。特に、人をゆるすことの難しさ、過去をゆるしの心で受け止めることの難しさを感じます。しかし、イエスは私たちの罪を解決するために十字架にかかり、神にゆるされる道を、そして人をゆるす道を備えておられます。「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)私たちにも、過去をそのまま受け止めることのできる心が与えられます。あなたにとって最も正しく解決してくださるイエスを信頼する新しい人生を送ることができるのです。
|
|
|
|
|