はぴねす2006年7月



力強く生きるための三つの確信
牧師 藤波勝正
 だれもが、力強く、正しく、人の役に立つ人生を送りたいと願っていますが、なかなかそのようには行かないものです。そのような人生のためには、次の三つの確信を持つことが大切だと思います。
 第一に、自分が愛され、必要とされているという確信です。生きる力の原点は愛ですから、神や多くの人々に愛されていると確信したときに、私たちは生きる力を持つことができるのです。
 けれども、相手に愛が正しく伝えられていないために正しく受け止められないことがよくあります。自分が欲しているときに、欲している方法で、欲しているものが与えられれば愛を感じますが、欲していないときに与えられれば、どんなよいものでも迷惑に感じることが多いものです。ですから、愛が注がれているかということと同時に、その愛がどのように受け止められているかが問題になります。愛が注がれていても、正しく受け止めていないならば、愛を注ぐ人は迷惑な存在となり、愛する存在とはなりえません。
 しかし、注がれた愛を自分に対する愛の表現として理解するならば、その愛が心を満たし、愛されていることを確信することができます。そして、自分が愛され、必要とされていると確信しているときに、ほかの人への愛を表わす心の余裕が生まれてくるのです。
 力強く、正しく、人の役に立つ人生を送るために必要な確信は、第二に、自分には人のために生きる力があるという確信です。愛されている自分を知ったなら、自分には生きる価値があること、生きる力があることを確信することができます。また、人のために生きる力を持つことができるようになます。そして、愛し合いながら共に歩むときに、生きがいを見つけることができるのです。自立と孤立とは違います。孤立した生活とは愛の関係を断絶した身勝手な生き方ですが、自立した生活は、だれかのために生きる力を持っていると確信する生き方です。
 力強く、正しく、人の役に立つ人生を送るために必要な確信は、第三に、神が最善のときに最善の方法ですべてを成就してくださるという確信です。理解できないことや納得できないことが人生には多々ありますが、その背後に真実な神がいてすべてを導いておられると信頼するのなら、人生が安定します。たとえ失敗があっても、神がすべてを最善に導くと確信しているなら、将来への確かな希望を持つことができるのです。
 親兄弟、友人など頼れる人がいないから、頼るのは自分だけだと言う人もいますが、自分の力の限界を知ることも大切です。自分ほど頼りにならない人間がいないことを認めなければならないと思います。自分で立てた計画を成し遂げることができず、自分の決心もすぐに破棄したくなるような弱い人間であることを知らなければなりません。人に頼られて困るような私たちには、自分の力だけで自分の生涯のすべてを歩むことなど到底できません。
 けれども、私たちを愛しておられる神、すべてのものを作り、支配しておられる神、力ある神が私たちに祈りを与えてくださいました。自分の限界を知り、神の助けを求めるなら、神は必要な助け人を遣わしてくださり、その人の助けを得て力強く歩むことができます。神が私たちのすべてを知り、すべての物事を導き、すべてを最善にしてくださるという信頼が人生の基本です。神に祈るなら、新しい力が与えられ、神が最善に導いてくださることを確信することができるようになり、新たな挑戦をする力を与えられます。
 聖書に、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」(ヨハネ15:5)というみことばがありますが、自分一人では何もできない弱い者であることをいつも覚え、主の恵みを知りつつ、愛する主とともに歩むなら、真に生きがいのある人生を力強く生きることができるのです。


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