はぴねす2006年10月



あなたも罪人なのです
日本福音同盟総主事 具志堅 聖
秋の特別集会(10/28、29)講師
 私がこの世に生を受け、親からいただいた名前が「聖(きよし)」でした。今まで多くの方々に「あなたはクリスチャンホームの出身でしょう」と言われてきましたが、そうではありません。カトリック系の幼稚園に通いましたが、全くキリスト信仰に縁遠い家庭に生まれ育ちました。
 中学の頃、三浦綾子氏の「塩狩峠」に感動し、その本を同級生に宣伝してまわったことがあります。そして三浦文学に触れ、罪のことを考えたこともありましたが長く続きませんでした。
 また、いただいた新約聖書を通読し、福音書の物語に刺激を受け、あの遠藤周作氏の本にも手を出したことを思い出します。しかし、そのような中、キリストに出逢う機会がありながらも信仰をもつことはありませんでした。
○転機
 高校生になった頃です。突然、実家が火事にみまわれました。原因は放火でした。
 それも、その犯人は親族である私の叔父であったのです。彼はその頃、精神的な病いを抱えていたのですが、突然発作を起こし、滞在していた私の実家に火を放ったのでした。私は親から離れて生活していたので、事件に直接巻き込まれずにすみましたが、私の家族は家を失い、大きな被害にあいました。また、さまざまな理由から多くの人間関係にひびが入り、大切な方々を失うことになったのです。
 この一つの出来事が私の家族の人生を一変させてしまいました。事件の一年半後、父の仕事の関係で、私の家族はカナダに移住することになりました。父は電気関係の会社を経営していましたが、その会社をあえて畳んで、家族の新しいスタートのために移住を決断したのです。父のたった一人の知人を頼りに、見知らぬ国へと旅だったのです。
○小さな教会で
 しかし、そこに神さまの深いご計画がありました。カナダに移り住んで、私と私の母は教会を探し始めました。そこで見つけたのが十人程度の信徒で礼拝を守っていた小さな日系人教会でした。ちょうどその教会は専属の牧師がいませんでした。月に二度ほど引退されたカナダ人の女性宣教師が説教されていました。
 教会に通い始めた頃、私は人の愛情に飢えていました。ことばの通じない国で生きることの辛さや、事件後の心の傷などもあって、教会の方々との交流が私を癒し、慰め、支えているようなものでした。
 しばらくして私は洗礼を受けたいと思い、宣教師に相談し、その日から洗礼の準備会を始めることとなりました。
○十字架の救い
 第二回目の学びの日のことです。私は事件の出来事を思い出し、苦々しい思いを宣教師に打ち明けたのです。いかに私たちが傷ついたか。なぜ人間はこんな酷いことをするのか、悲惨な状況下で味わった人間の裏切り行為などを語ったのです。その時、宣教師が一呼吸入れて、こう私にはっきりとしたことばで語られました。
 「そう言うあなた自身も罪人なのですよ。それが分かりますか。人は神さまから遠く離れているどうしようもない罪人なのです。そのようなあなたのために主イエスさまは十字架で命を捨てられ、三日目に甦り、そして今生きておられ、あなたを救おうとされておられるのです」
 忘れもしません。その瞬間、「私は本当に罪人だ。あなたを信じます。主よ、私を救ってください」と告白することができ、神さまを信じることができたのです。
 「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ人への手紙10章10節)
 それまでの私は、自分は立派に生きてきた人間、まっとうな人間だと思い込んでいたのです。そこそこに勉学もでき、周りの関係者にも誠実を尽くしている、だから何の問題もないと自惚れていたと思います。しかし、その心は神さまから遠く離れていたのです。そのような私に神は憐れみを示し、主イエスとのであいを与え、神の子となる道を示してくださったのです。
 私と母が最初に洗礼を受け、翌年父と妹が洗礼を受けました。すばらしい恵みだと今でも思います。あの事件があったからこそ、今の私たちがあると思うようになりました。悲しみは喜びへと変えられたのです。
 甦られた主イエス・キリストは確かに今も生きておられ、彼を信じるすべての者を救い出すことがおできになるのです。その福音が今あなたにも伝えられていること知っていただきたいと思います。


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