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私は、小田原少年院の教誨師をさせていただいている関係で、同院で開かれる成人式に参加することが許されています。今年は、17人の院生が成人式を迎えました。私がこの成人式に参加する目的は、式の中で彼らの「20歳の誓い」を聞くことです。この中で、院生たちがどのような気持ちで少年院での成人式を迎えたのかを、そして、家族への思いや将来に向けての決意などを率直に語ります。
今年の成人式については1月13日の朝日新聞湘南面に掲載され、「20歳の誓い」もよくまとめられていましたので、そこから引用いたします。
「受け入れてもらえるかどうかわからないが、被害者に謝罪し責任がとれる大人になる」「かわいい娘を抱くことができるよう、恥ずかしくない大人になる」「勝手に生きてきた。更生は簡単でないが10代の自分と決別する」「暴力組織に加わり、多くの人を傷つけ苦しめて最低だった」「人の悲しみ、喜びを実感できる人間になる」「人の役にたつ仕事につく」「これから一家の大黒柱になる。お母さん、ねえちゃんそれまで待っていて」
それぞれの院生が、親、兄弟、そのほか多くの人々を前に、罪を犯した自分を見捨てずに愛し続けている家族に感謝し、また、真剣な思いで決意表明をしていました。
新聞には載っていませんでしたが、なぜ自分が罪を犯し、このようになってしまったのかについて自分の思いを述べている院生もいました。「あまりにも周囲を見ない自分勝手な生き方だった」「自分のことしか考えられなかった」「自分を抑えることができないで罪を犯した」など、自分の性格、考え方に弱さと足りなさがあったと言っていました。
彼らがどんな家庭で生まれ育ったのか、どんな罪を犯し、その結果どんな被害を与えたのか、そして、そのことが彼ら自身にどんな結果をもたらしたのかはわかりません。しかし、自分を生み育て、愛し続けてくれている家族への感謝のことば、自分の犯した罪のゆえに傷ついている被害者への謝罪のことば、罪を犯した原点が自分の心にあると知り、それを克服していきたいということばを聞きながら、その弱さ、足りなさ、力のなさが私たちにもあるのだと気づかされました。
この誓いのことばを実現するには、彼らを愛し、支えてくれる家族や知人友人、そして社会全体の愛の配慮が必須です。何よりも大切なのは、その人自身の心に変化が起こり、罪の性質に勝つ力を得、新しい人生を歩むことができるという望みを持つことです。
聖書には、「私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています」(ローマ7:19)と記されています。私たちの心の中に弱さ、足りなさ、罪深さがあり、いけないと思いながらもずるずると罪の深みにはまってしまい、自分の中にある罪の性質に気づかされます。自分の力だけではこの罪の性質に勝つことはできません。多くの人の協力、特に、愛する者の励ましと助けが必要です。しかし、それだけでは不十分です。私たちを罪から救うためにこの世においでになったイエスが、私たちの罪のために十字架につき、よみがえり、私たちを自分の罪から救ってくださる方であると知らねばなりません。「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(ローマ8:2)この方は今も生きており、私たちに新しい人生を約束しておられます。
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