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多くの人々は土曜日と日曜日を指して週末と言い、最近は月曜日を週の始めとするカレンダーも多くあります。官公庁、会社、そして学校が週五日制をとるようになって土日が休みになったため、日曜日を週末としたほうが便利なのはよくわかります。しかし、従来のカレンダーは西洋の習慣に従って日曜日から始まっています。キリスト者にとっては週の始めの日は日曜日であり、聖なる日です。私たちはこの日に真実な神を礼拝し、賛美し、神からのみことばをいただきます。日曜日の礼拝後は、主を信じている者たちが安否を問い合い、祈り合い、励まし合います。また、神への奉仕をして、自分が神と人のために生きる者であることを確認し、神の家族の交わりの中で、神に愛されている家族の温かさをも味わうのです。
このように日曜日を過ごすことで、主の力に新しく満たされ、希望に満たされ、仕事への意欲が新たにされます。日曜日は心が作り変えられる日、文字どおりのレクリーエション(再創造)の日なのです。
この習慣が世界に広まり、日本でも1876(明治9)年3月13日に「従前一、六休暇ノ処、四月ヨリ日曜ヲ以テ休暇ト被定候条、此旨相達候事。但土曜日ハ午前十二時ヨリ休暇タルベキコト」という太政官通達が出されたところから始まりました。
では、なぜ日曜日を聖なる日として休むようになったのでしょうか。聖書に記されているキリストの一つの大切なわざがきっかけです。キリストが2000年前にイスラエルのベツレヘムで旧約聖書に記されたとおりにお生まれになったことは、多くの人々が知っています。私たちはこのイエスの誕生を降誕と呼びますが、この言葉は、神の子が人間の姿をとってお生まれになったことを表わします。お生まれになったキリストは、神の愛に満ちた、きよく、力に満ちた生涯を送りました。
その33年のご生涯の終わりに、イエスは自ら十字架への道を選び、不正な裁判の結果、十字架刑に処せられます。そして、私たちの罪の身代わりとなって「すべてが成就した」と宣言して、十字架上で死なれました。息を引き取った後に墓に葬られましたが、聖書の預言のとおり、3日目に復活しました。このとき最も驚いたのはイエスとともにいた弟子たちで、彼らは主の復活をなかなか信じることができませんでした。しかし、よみがえったイエスに実際に会い、話し、一緒に食事をして、その事実を受け入れることができました。そこで、初代のキリスト者たちは、この復活のキリストのよみがえりを記念して、日曜日に仕事を休み、集まって神を礼拝しました。
多くの人々が日曜日を休日と考えていますが、この日が実は、私たちのために死んでよみがえり、今も生きておられるイエスを礼拝する日であることを心に留めていただけたら感謝です。特に、イエスの復活を記念する日を復活祭(イースター)として教会では特別な礼拝をささげ、主に感謝し、主に希望を置きます。今年は4月8日でした。日曜日は遊ぶ日ではなく、週の初めの日であり、よみがえったイエスを礼拝する日であり、主のために働く日なのです。
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