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5月の第2日曜日は母の日で、多くの家庭で母親に感謝することでしょう。この母の日の起こりは次のようなものです。1908年にアメリカのある教会で、一人の女性がたくさんのカーネーションをささげて,
日曜学校の教師をしていた亡き母をしのびました。このことが広く知られるようになり、1914年にはアメリカ議会で5月の第2日曜を母の日と定められました。そして、この母の日は世界じゅうに広がっていきました。「あなたの父と母を敬え」とは聖書の中の大切な教えですが、母の日の習慣はそこから始まったのです。
母の日には単に母親に感謝するだけでなく、母親の務めを確認することも大切です。母親は人が生まれて最初に接する相手であり、母のぬくもりを通して、愛すること、信頼すること、助け合うことを学びながら成長します。子供のときはよくわかりませんが、愛される喜びを肌で覚えています。あとになって自分のために大きな犠牲が払われていたことを知って母の愛を実感し、人間としての生き方を学びます。母親のことばで人生が変わったという話もよく聞きます。
ある牧師が幼いとき、母親から「神様の宿題」ということばを聞かされたそうです。その方は体も心も弱く、いじめられっ子でしたが、母親に涙を見せたくなかったので、わざわざ遠回りをして涙が乾くのを待って家に帰ることがよくありました。けれども、母親にはいじめられたとわかり、一緒に泣き、「あなたが生きているのは不思議なことなのよ」と、神の不思議な御手の中で生命の危機から守られてきたことを具体的に話したそうです。子供が話の内容をすっかり暗記してしまうほど、泣いて帰るたびに同じことを話したのです。同時に、「あなたでなければできないことが必ずあるの。それが神様の宿題なのよ」と話し、彼は自分が期待されていることを教えられ続けてきたとのことです。
この牧師は、いじめられた少年時代、挫折を味わった青年時代、その後もさまざまなことに遭いましたが、「神様は自分に計画を持っている」といつも言い聞かせてその計画が何かを求め続け、その使命がわかったらすべてを犠牲にして進もうと固く決意していました。大学を出て働いているときに学校の教員になる道が開かれ、彼は自分の生きる道がここであると確信し、それこそ神様の宿題の解答だと確信しました。教員になった彼は、いじめられて挫折した過去を思い出して弱い生徒たちを理解することができました。この方は、生徒たちを励ましている自分を見て、すべてを益に変えてくださった神に感謝し、母のことばに感謝したと言っておられます。
もしこの母親が息子の友達を恨み、息子を悲劇の主人公として育てたとすれば、彼はこのような希望に輝く少年時代を過ごすことはなかったでしょう。母親のことばがこの方の人生を支え、主のために生きる道を示しました。「この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました」(Tコリント1:28)と聖書にありますが、弱く足りない者だからこそできる大切な働きがあるのです。
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