はぴねす2007年10月
大いなる宝を発見した私
カンバーランド長老キリスト教会成瀬教会牧師 丹羽 義正
秋の特別集会(10/27、28)講師
「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」
(マタイによる福音書13章44節)
私は貧しい家庭で育ちました。中学を卒業する時、経済的理由から普通の高校に進学することが出来ませんでしたので、ある自動車会社の企業内学校に入学しました。この学校は、学費はただで、生活にかかわるすべての費用を学校が面倒を見てくれるありがたい学校でした。しかしこの学校に来る生徒たちは、そのほとんどが家庭の事情や学業成績などから、ここにしか来ることができなかったという人たちばかりでした。だから皆、心が荒れていたのです。その上、企業の学校ですから、学校の要求も厳しく、将来、会社の役立たないと判断された生徒は、退学を命じられました。生徒のストレスは、決まって下級生へと向けられ、私はその寮生活を必死に耐えて卒業しました。この3年間の学校生活で私が学びとったことは、社会は厳しいということでした。役に立たない人間は簡単に捨てられてしまう。そして、能力のある者だけが評価され、お金を手にすることができる。「貧乏であってはいけない。金持ちにならなくては……」、幼い頃、自分の心に刻み込まれていた思いが一層、強められました。
学校を卒業し、会社の工場に配属されました。とにかく出世して、金持ちになりたい。その思いで働き、仕事を終えて寮に帰ってきてからも仕事に関係する資格を取るために、ほとんど毎日勉強をし続けました。お金もほとんど使わないように心がけていたので、思っていた以上にお金もたまって来ました。
けれども、私の心は空しさにとらわれていました。先が見えていたのです。中学を出て企業内学校を経て会社に入った人と大学を出た人とでは、最初から立っている土俵が違っていたのです。どんなに努力しても、学歴の壁を越えることは難しい現実があったのです。私は、自分がしていることはむなしい努力に思えました。貧乏のために学校に行けなかったということが、私の人生の大きな障害物になっているのだと痛感しました。その頃、私は同期に入社した人たちをうらやましく思い始めました。彼らは、自分で稼いだお金を遣って、自由に楽しく暮らしている。しかし、自分は家族に仕送りをし、こせこせとお金を貯めている。特にこれといった遊びもしない。なんだか、自分が惨めになり、自分の人生は家族の犠牲になっていると思い始めてしまったのです。そう思った私は、実家に送っていた仕送りの額を「残業が減って大変だから」と、嘘をついて減らしてしまったのです。その浮いた分のお金を自分の好きなことのために遣ったのです。もちろん、心に痛みを覚えなかったわけではないのですが、葛藤を感じつつも、家族を裏切る行動に出てしまったのです。
そんなある日、テレビのキリスト教番組を見ました。たまたまテレビをつけていたら、始まったのです。しかし、私はそのテレビの内容に釘付けになりました。一人の御婦人が、ゲストとして出ていました。昔、コロムビアレコードから「イエライシャン」という歌をヒットさせた胡美芳という方でした。この方は、歌手になる前に貧乏でずいぶん苦労されたようでした。そして、歌手としてデビューするにあたり、家族持ちであることが知れると、売れなくなるということで、自分の子どもを年の離れた弟と偽って売り出した。やがて、ヒット曲が出て、たくさんのお金が転がり込んできた。貧乏に苦しんでいた人が大金を手にすると不幸ですね。「もっとお金が欲しい」、お金に心を奪われ、家族を捨ててしまったそうです。お金のために家族を捨てた。そんな私が、イエス・キリストと出会って、お金中心の生活からまったく違った人生を歩む者に変えられた、という話でした。
私は、それを聞きながら胸を刺される思いがしました。「私は、この人と同じことをしているのだ」。涙があふれました。そして、自分もこのイエスという方を信じたら、今までとは違う人生を生きられるようになるのではないか、と思いました。それが私とイエス・キリストとの出会いとなったのです。
私はずっと長い間、貧乏が自分の人生の可能性を奪ったのだと思ってきました。自分の人生と言う畑は、つまらないものだけが満ちていると思っていました。しかし、その貧乏であったということが、大いなる宝、すなわち神様と私を結びつける働きをしたのです。冒頭の聖書の言葉の農夫も、畑に鋤を入れたとき、最初、これはただの石だと思ったでしょう。作業の邪魔になるだけの石だと。しかし思いがけないことに、それは素晴らしい宝だったのです。神様は、私たちの人生に様々な障害物を置かれます。しかしその障害物は神様との出会いを生み出すために用意されているものなのだと、私は思います。あなたもご一緒に、この宝を発見しに教会に来てみませんか。
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