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今年も終わりに近づき、イエス・キリストのご降誕を祝うクリスマスが近づいてきました。そこで、クリスマスの意義について年号を通して考えてみたいと思います。
私たちは日常平成という年号とともに西暦を用いて、紀元後はA.D.と略し、紀元前はB.C.と略します。しかし、なぜ紀元後がA.D.で紀元前がB.C.なのかはあまり知られていません。
西暦が作られたのは525年のことですが、イエスがお生まれになった年を元年とする考え方がもとになっています。救い主イエスの来臨によって世界が新しい段階に入ったという信仰から、キリスト降誕を元年とする紀年法が作られたのです。ですから、英語圏ではラテン語のanno Domini(主の年)を略したA.D.で紀元後を、before Christ(キリスト以前)を略したB.C.で紀元前を表わしています。しかし、年数の計算に誤りがあり、実際にはキリストがお生まれになったのは紀元前3年から7年の間であると言われています。
西暦を使い、A.D.と書くのは、主イエスがお生まれになってから何年たったと意識すると同時に、イエスこそがこの時代の主であると信仰告白することになります。キリスト降誕前の時代をB.C.というほど、救い主の来臨が全世界で大きな意味を持っているからです。
そのような意義を持つ救い主キリストの誕生を祝うクリスマスが全世界で祝われ、日本もあたかもキリスト教国になったかのように祝われていることは感謝です。しかし、少し残念なことに、クリスマスの主人公がイエス・キリストではなくなり、いつの間にかサンタクロースになってしまっています。けれども、皆さんが少なくとも年に1回はイエス・キリストに少しでも関心を寄せ、救い主の来臨を感謝してその意義を歌う賛美歌を歌っていてくださることをうれしく思っています。
救い主の来臨は旧約聖書に預言されており、イスラエルの人々は長い間待っていましたが、その約束が預言のとおりに実現したのがクリスマスです。クリスマスが実際にはいつなのか聖書に記されていないのでわかりませんが、ローマ帝国がキリスト教国になった後の4世紀ごろから、12月25日をキリストの降誕を祝う日とするようになりました。
神は人類を愛するゆえ、処女マリヤを通してひとり子イエスをこの世に真の人として遣わし、救いの道を成就されました。そのキリストは、王家でも宗教的に地位の高い祭司の家でもなく、有名な学者や資産家の家でもなく、貧しい大工の家にお生まれになりました。母マリヤも、ダビデ王の子孫ではありますが、貧しい処女でした。
そのうえ、この救い主は人に裏切られ、多くの試みを受け、悲しみを担われました。最後にはすべての人の罪を背負って十字架上で命を捨てられました。このような方ですから、私たちの人生の苦しみを理解してくださいます。聖書は、「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2:11)とイエスを紹介していますが、この救い主はこの「はぴねす」を書いている私の救い主であるだけではなく、「はぴねす」を読んでくださっている皆さんの救い主なのです。
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