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世界が温暖化傾向にあると言われながらも、今年の冬はいつもより寒さを感じる日々が続いています。テレビや新聞では、寒さの中で受験する若者たちの姿が報じられます。そのような若者たちの口からは、「勝ち抜く」とか「勝利を得る」とか「栄冠を獲得する」を言ったことばが聞かれます。そのようなことばを聞き、きびしい勉強の姿、また、関係者の応援する姿、特にご家族が心配する顔を見ていると、希望の学校に合格することが人生の栄冠の第1歩であり、勝利の人生のスタートのように思っているのではないかという印象を持ちました。
多くの人々が考える勝利の人生とは、より高い地位について人々の上に立ち、人より多い収入を得て豊かな生活をし、多くの人から注目される人生ではないかと想像します。マスコミも、そのような生活をしている人を成功者として紹介します。
そのような生活をしている人はほんの一握りですし、その人たちが本当に幸福な人生を送っているかどうかはわかりません。周囲の人がうらやむ生活をすることが間違っているとは決して思いませんが、与えられたものを用いていくことこそが最も大事だと思っています。人前で目立つかどうかより、神と人の前に忠実に歩む人生こそ、最も大切なあり方だと思います。この忠実は、自分には敗北に思えたとき、自分の思いどおりに行かなかったとき、自分だけが損をしたかのように思えたときにどう受け止め、周りの人にどう語り、どう行動するかにかかっています。
さまざまな試練の中で自分の生き方を見いだした人のことをお話ししたいと思います。聖書に出てくるバルナバという人物です。バルナバとは「慰めの子」という意味です。彼は、人々から裏切り者として非難されているパウロという人物を信頼し、パウロを疑っている人々に彼を紹介し、後見人のようになりました。設立されて間もないながらも大きな教会の指導をゆだねられたときには、後輩であり自分が恩義を与えたパウロを自分の助け手として招聘しました。パウロとバルナバの二人に大きな働きをまかされたときには、パウロのほうが優れた働きをすると確信して指導権をゆだね、すべてをささげて助けたのです。バルナバは、教会の指導者としての地位と名誉を捨て、忠実に神と人に仕える道を選択しました。彼がこのことを決意したときには心に大きな葛藤があったかもしれませんが、自分を捨てる道の価値を見いだし、神と人に仕える道を選んだゆえに、バルナバは今も多くの人々の励ましになっています。「だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。」(Uテモテ2:21)人の前ではなく、神の前に忠実に歩む者こそ、真の喜びにあふれた生涯を送ることができるのです。
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