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3月23日は、教会ではイースターとか復活祭と呼んで最も大切にしている日です。何年か前、世界遺産に関するテレビ番組でイスラエルを取り上げ、イエスが十字架についた場所に記念として建てられた教会やイエスが葬られたといわれる墓の上に建てられた記念の教会が紹介されて興味深く見ていました。番組の中で、イエスの墓を記念して立てられた聖墳墓教会で奉仕している日本人神父がテレビのレポーターを案内して説明していた姿をよく覚えています。神父は、「この墓にはイエスの遺体はなく、空の墓です。イエスは十字架で死んだ後にこの墓に葬られましたが、3日目によみがえり、今も私たちの心の中に生きておられます」というようなことを話していました。
私はクリスチャンホームで生まれ育ち、小学生のときから教会に行っていましたが、高校時代は、イエスが死からよみがえったということをなかなか信じることができませんでした。私だけではなく、イエスが処女マリヤから生まれたこととよみがえったことに疑問を持ち、信じられない人は多くいます。
しかし聖書は、イエスがよみがえった直後、そのできごとを知っている人々が数多く生きているときに、よみがえりの主を見た者、よみがえりの主の話を聞いた者、よみがえりの主と食事を共にした者によって記されたのです。聖書の記述を見ますと、イエスは金曜日の午後3時に十字架で死んだ後に新しい墓に葬られました。だれもイエスの死体を持ち出すことができないように墓は封印され、ローマ軍の兵士たちが守っていました。当時のユダヤの指導者たちは、イエスが生きているときに「自分は3日の後によみがえる」と言っていたことから、弟子たちが死体を盗んでイエスがよみがえったと言うのではないかと恐れたのです(マタイ27:63、64)。
一方弟子たちは、イエスに自分たちの生涯をかけて生きてきましたから、イエスが葬られたと知ったときはことばに表わされないほどの挫折感を味わいました。ところが、日曜日の朝、弟子たちと親しい人々が墓に行ったところ、墓は空でした。そのうえ、天使が現われて「ここにはおられません。よみがえられたのです」(ルカ24:6)と言ったというのです。彼らは弟子たちにそのことを報告するのですが、弟子たちはたわごとと思って信じようとはしませんでした。その後、弟子たちもよみがえりのイエスに出会って食事をともにし、親しい交わりをし、イエスのよみがえりを信じて新しく生きる力を得ました。よみがえりを信じた者の中にはイエスの兄弟たちもいました。このよみがえりの主は日曜ごとに弟子たちの前に現われてくださいました。弟子たちは自らがよみがえりの証人であると言っています。
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