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日本では、子供の日は端午の節句を起源とする5月5日ですが、アメリカの多くの教会では、6月の第2日曜日を子供の日と定めています。この時期のアメリカでは多くの花が咲くので、礼拝堂をたくさんの花で飾って特別な礼拝をしているようです。
この子供の日礼拝の習慣は、1856年にマサチューセッツ州のC・H・レオナード牧師が、子供たちが将来神のために生きる者になってほしいと願って特別な礼拝をささげたことから始まったと言われています。この礼拝は、子供たちが与えられた信仰を守って神に従って歩むよう願うとともに、両親や保護者が聖書のみことばに立って子供たちを育てることを決意するための礼拝でした。その後、別の教会での話ですが、礼拝堂を花で飾って特別な礼拝をささげたところから、「花の日」とも呼ばれるようになったそうです。現在のアメリカでは、この子供の日は母の日や父の日ほど一般的ではないので、もう一度子供の日を広めようという動きもあるようです。
日本の教会も明治時代にこの習慣を受け入れました。今では、6月第2日曜日に「花の日・子供の日礼拝」を行なっている教会が多くあります。この日には家から持ち寄った花で礼拝堂を飾り、自然を支配しておられる神をたたえて子供中心の礼拝をささげ、礼拝後には、日ごろお世話になっている駅、警察、消防署などにその花を届けます。私たちの教会では、日曜日にこの行事を行なうことが難しいため、教会学校の行事として、6月の第2土曜日に子供たちが花を持ち寄り、その花を持って消防署やお年寄りの家を訪問しています。
このように子供の日を考えると、親としての責任を自覚しなければならないと思います。子供たちが神に従って歩むことを願うだけではなく、親たちが聖書のみことばに従って子供を育てる決意をする礼拝が子供の日の起源であったことをもう一度思い返すことが大切です。神様からゆだねられた子供が神と人を愛し、神と人のために生きる人間になるよう育てる責任が両親にあることをいつも自覚し、決意を新たにしたいと思います。
聖書は、「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです」(エペソ6:1)と言っていますが、このみことばから二つのことが言えます。まず、自分の両親が足りない者であっても、愛し従う務めが子供にはあるということです。もう一つは、両親は、子供に従いなさいと言うことができるように自分の生活を正す努力をする必要があるということです。
簡単に思えても、これほど難しいことはありません。親の生涯が子供に対する大切なメッセージであるということをいつも念頭に置き、私自身、足りない自分を主の前に訴え、主に助けられて、きよく、力強く、感謝にあふれた日々を過ごすことができるように祈っています。
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