はぴねす2008年7月



個食の習慣
牧師 藤波勝正

最近マスコミで「個食」ということばが時々登場します。個食は、「家族に属する個人個人で食事を取ること」を意味します。最近の日本では、家族の交わりが失われ、家族団らんの中心である食事を共にすることがたいへん少なくなってきたことから生まれたことばです。

個人で食べる個食は、20世紀末より次第に塾通いやお稽古事などで子供の帰宅が遅くなるといった事情や、残業や共働きなどで親との生活サイクルがかみ合わなくなったりするなどして、家族揃って一緒に食事が出来ず、子供がコンビニエンスストアの弁当やおにぎり・ファーストフードのハンバーガーセットなど、出来合いの食事で夕食を済ませたり、あるいはインスタント食品やスナック菓子を夜食にと食べて済ませてしまうケースが見られる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

かつての日本の家庭には、食事を共にする中で一家団欒がありましたが、最近では食事はただ空腹が収まればよいというものとなり、家庭教育が失われ、励まし合ったり支え合ったりするコミュニケーションの機会が失われるという重大な結果が生じています。

この習慣が続きますと、人間性が育たず、「一人で食べるほうが好き」というような、孤独を愛して交わりを拒否する人間として成長する可能性も指摘されています。ある友人が「口が広がれば、心も広がる」と言って、食事を共にして語り合うことが大切であると指摘していたことを思い出します。

食事を共にするということは、単に食べ物を一緒に食べるというだけではありません。食べ物だけではなく、互いの愛を感じ、喜びを共にし、悲しみを分け合う人格的な交わりを経験するのです。

地上におられたときのイエス・キリストは、いつも弟子たちと食事を共にし、生きるべき道を食事をしながら教えました。レオナルド・ダ・ヴィンチが書いた「最後の晩餐」の絵はたいへん有名ですが、この絵は、十字架にかかる直前に弟子たちと食事を共にしたときの光景を描いたものです。また、気落ちしている弟子たちのために食事を整えて励ましたこともあります。

キリストは天に帰られましたが、今も生きていて、「わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示録3:20)と言っておられます。

私たちが日々みことばを読みながら祈るとき、主と食事を共にするような親しい交わりが与えられます。その交わりの中で、主は私たちを慰め、励まし、大切な真理を教えてくださいます。主は今も私たちと親しい交わりを持つことを求めておられます。そして、主の愛を私たちに教え、主の慰めを与え、私たちを最善に導いてくださるのです。



■小田原教会通信はぴねす目次■

■小田原教会TOP■