多くの人々が羨望の目をもって見る家庭とは、親の社会的地位が高いとか、多くの財産を所有するとか、名誉を得ているという家庭でしょう。このうちの二つ以上があれば、皆の見る目はいよいよ高くなります。多くの子供たちは、自分の家庭と比較して「あんな家庭で生まれたほうがよかった」と思うことでしょう。しかし、子供が親を選ぶことができないように、親も子供を選ぶことができないのです。
しかし、神が700年以上も前から約束していたひとり子をこの世に送るときには、その子の親を神がお選びになることができました。神がお選びになった家庭は、ユダヤの国で人々から尊敬されていた祭司の家でもなければ、聖書について研究する学者の家庭、ユダヤ教の教えに熱心でいつも教えを研究して人々に指導するラビの家庭でもありませんでした。
神に選ばれた母親は、貧しい大工のヨセフと婚約していたマリヤです。神がひとり子の父親としてお選びになったヨセフは正しい人でしたが、社会的地位は高くありませんでした。ただ一つの特徴は、昔ユダヤ人を治め、ユダヤ人たちから尊敬され、その子孫から救い主が誕生すると約束されていたダビデ王の家系であるということです。
マリヤがヨセフとの結婚生活にまだ入らないうちに、神はマリヤに「あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。……生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます」と語られました。マリヤはたいへん躊躇しましたが、いいなずけの夫ヨセフに理解されると信じて神の声に従い、「処女がみごもる」という預言がここに成就しました。
神はまたいいなずけの夫ヨセフにも事の次第を伝え、「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい」とおっしゃいました。ヨセフは妻となるマリヤを理解し、受け入れ、処女である彼女から生まれると預言された神の子を愛をもって育てる決意をしました。このようにして、神への愛と信頼、互いへの愛と信頼があるすばらしい家庭が生まれました。
神はこのような家庭に御子イエスを生まれさせ、何人かの弟や妹たちとともに育てられました。父ヨセフが早くに死んだために生活の苦労、生きる悩みなどをイエスが経験したのではないかという説もあります。成人後は、多くの人に裏切られて心の痛みを経験し、さまざまな誘惑を受けて人間の弱さを経験し、食べ物や飲み物の不足も経験しました。
神の子イエスは、私たちの喜びと悲しみ、弱さを体験し、私たちに同情することのできる方となりました。聖書は、「罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」(ヘブル4:15)と言っています。このイエスは、私たちの不幸の原因である罪を取り除くために私たちの身代わりとなって十字架につき、救いの道を開いてくださいました。イエスが神の子でありながら人間の苦しみを味わい、私たちの罪のために十字架につくために生まれてくださったことを感謝し、ほめたたえ、礼拝するのがクリスマスです。この愛の主を受け入れるなら、私たちに本当の喜びに満ちた生活が約束されています。
|