先日ラジオで、地域医療に使命を感じている医師が、人生で最も大切なのは居場所を得ることであると言っていました。また、人生を起承転結にたとえて、居場所とはその時代時代にふさわしい場所を得ることであるというような意味の内容を話していました。
起承転結とは何かを改めて調べてみました。「漢詩、とくに絶句(4句の詩)の構成法の用語。『起承転合』ともいう。第一句を起句、第二句を承句、第三句を転句、第四句を結句という。起句はうたい起こしで、一首の意を提起するものであるから、高い風格、非凡な着想が必要である。承句は起句を受けて、詩意を発展させる。転句は場面を転換するが、人の意表に出るような奇抜さが必要であり、一つの見どころとなる。結句は転句を受けつつ、全体を収束し、余韻を言外に漂わす。」(Yahoo!百科事典)
ラジオで話していた医師が人生をどのように起承転結としてとらえているかをはっきりと覚えていませんが、人生の起句は母の胎内から思春期までであり、胎内、家庭などが居場所となり、将来への備えの時です。承句は思春期で、与えられた居場所から出て悩み苦しみながら自らの居場所を探し求める時代です。転句はその後の人生で、それぞれが得た居場所で自らを発展させていく時代です。結句は人生が収束する時代であるので、それにふさわしい場所が必要となります。いずれにしても、人生で最も大事なのはその時代にふさわしい場所を得ることだとこの医師はラジオで話していました。
居場所には何が必要なのか、私は第一に所属感だと考えます。自分がこの過程の人間であり、この組織に受け入れられており、属しているという自覚です。第二は愛されていると実感することです。この家庭で、この組織で愛されているという実感をもつことです。第三に、使命感をもつことです。自分が家庭や組織で信頼され、自分にはなすべきことがあると自覚することです。
受け入れられ、愛され、信頼されているなら、その場所で誇りをもつことができ、平安が与えられます。人生の各段階で受け入れられ方、愛され方、信頼のされ方が違うのは当然であり、人生の起承転結という各時代で居場所を得ていくことが大切であると語られているように思います。
私たちがそれぞれの居場所で自分を見て不満をもとうと思えばいくらでも出てきます。しかし、私たちの人生の段階ごとに居場所が変わり、状況が変わり、対人関係が変わっても、同じ愛で受け入れ、支え、愛してくださる神がいらっしゃいます。その神を信じるなら、どこに置いても本当の居場所をもつことができるのです。聖書は「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになってもわたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」(イザヤ46:4)とあるように、どんな状況になっても私たちにふさわしく受け入れ、同じ愛で愛し、そして使命を与えてくださいます。その方が共にいてくださると信じるなら、今自分がいる場所が自分にとって最高の場所であることに気づき、感謝をささげることができるようになります。
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