1950年代のことだったと思いますが、小田原で行なわれた尾崎行雄氏の講演会に行ったことがあります。尾崎氏は、1890年から60年以上にわたって衆議院議員を務め、「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれました。咢堂(がくどう)という号もあります。
尾崎氏の講演会に行ったのは50年以上も前のことですからはっきりとは覚えていませんが、演題は国連を土台にした世界連邦の樹立だったように思います。世界平和のためには世界が一つの国にならなければならないが、そのためには日本が幕末に経験した大政奉還が大きな経験となるといったような内容ではなかったかと記憶しています。
この講演の結論部分だったと思いますが、小田原城の石垣を例にして、石垣には大きな石も必要だが、しっかりとした石垣を作るには、大きな目立つ石を支える小さな目立たない石も必要であり、私は大きな石にはなりたいと思わないが、小さな石となって理想の実現のために働きたいというようなことを話されたように思います。
その話を聞いて以来、何かをするには目立った大きな役割が必要である一方で、目立つ役割をしている人々を支える目立たない役割が必要であることをいつも感じてきました。
私自身も今までにさまざまな仕事をしてきました。あるときには多くの人の前に立つ目立つ仕事もしましたし、あるときにはまったく人の目には触れない仕事もし、時には自分が今していることが無駄に思えるような仕事もしてきました。尾崎幸雄氏が小田原城を例にして話した、小田原城の石垣の大きな石を支える目立たない小さな石になりたいということばを思い出すこともありました。
私たちの理想は、目立つ役割をすることではないでしょうか。わが子に対しても、クラスの中で目立つ活躍をしているなら安心感を持つことでしょう。多くの人が、お金持ちになりたい、有名になりたい、高い地位に就きたいと願いますが、それはすべて大きな石の役割です。このような役割は絶対に必要ですが、同時に目立たない役割も必要なのです。もしわが子がそのような役割を与えられているとしたら、その役割がどんなに大切であるかを話して励ましたいと思っています。
聖書は教会を神殿になぞらえています。神殿は石で造られた大きな建物ですが、大きな石が石としての役割を果たすには石どうしを結び合わせるものが必要です。聖書の時代の建物でどのようなものが石と石を結び合わせていたのかはわかりませんが、聖書は教会の信徒一人一人を結び合わせるものが愛であると語っています。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4:16)ここで「からだ」というのは教会を指しています。
愛とは、自分のことだけを考えるのではなく、常に相手のことを考えます。自分の果たすべき役割に感謝を誇りをもっていくなら、しっかりと組み合わされるのです。
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