はぴねす2011年4月



友のためにいのちを捨てる
牧師 藤波勝正

3月11日の大地震から、日本がまったく違う国になったかのような日々です。多くの建物が崩れ、大津波ですべてが崩壊し、生活の手段を失った町々が多くあることを見聞きします。愛していた家族、長年住み慣れ、生活の土台である住まい、先祖から受け継いだり自分で建て上げたりしてきたすべての基盤を地震や津波で失った方がたの嘆き、悲しみ、不安の声を聞きます。思いがけない原子力発電所の事故では、住むことのできる家を後にして見知らぬ地域に避難し、先が見えない状態になったいる方がたの不安の声を聞きます。

また、避難場所というプライバシーのないところで生活し、健康に不安を抱え、明日への見通しがまったく立たないという焦りの姿も見ます。液状化の被害によって、安全だと思っていたところがまったく違う場所のようになり、復旧の見通しも立たず、困惑しておられる方がたも数多くおられます。特に、親を失った子供たちの不安な顔、子供を失った親たちの嘆きの顔、親しい家族を失った方がたの嘆き悲しむ顔が目に焼きついています。

そのような悲しいニュースがあふれる中、津波の危険から人々を救うためにいのちをかけ、文字どおりいのちを捨てた役場の職員、警察官、消防官の話を聞きます。また、原子力発電所の事故の復旧のため、いのちをかけて働いている方がたの話も聞きます。そのような方がたの働きによっていかに多くのいのちが救われているかわかりません。ある幼稚園児は、将来自衛官になって多くの人のいのちを救いたいと言っていたそうですが、いのちをかけて働いている方がたに感動したのでしょう。

人のために犠牲となる生き方、自己犠牲の尊さをあまり言わなくなったように思える現代、そのような生き方の大切さを教えられているように思います。自分のいのちを捨てて多くの人々を救おうとする生き方は、多くの人々への大切なメッセージとなっています。

聖書に「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13)とありますが、いのちをかけて働いている方がたは最高の愛の生き方を示しているのです。また、災害後の働きで、肉体のいのちだけではなく、だれかのために自分の生き方を捨てるという姿で愛の大きさを示している方がたもあります。

私たちの日々の生活は、多くの人々の犠牲の上に成り立っています。私たちが正しく生きる者となり、永遠の祝福を得る者となるために、イエスが私たちのためにいのちを捨ててくださったと聖書は言っています。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8)イエスは死んで葬られましたが、3日目によみがえり、よみがえりの事実を受け入れられなかった弟子たちに現われてくださいました。この事実を受け入れることによって私の人生がまったく変わり、今の私があることを感謝しています。



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